「心を無くす決断」

失ったのは豊かな心。こんなこと書けないかな(笑)。あの中にいると、色んなことが起きるので、そのたびにいちいち心を動かしていたら、自分の体ひとつじゃ保たないなって思ったんです。だから、10代の時に心を無くす決断をしてしまいました。

渡辺麻友が語った、11年間のAKB48生活で「得たもの」「失ったもの」 | 文春オンライン』より引用

 

「心を無くす決断」とはなんだろうか。名前は知っていた彼女の魅力に、令和になって気が付き、インターネットの海を漁る中で辿り着いたこの記事の言葉に心を刺された。記者は漢字を「無くす」としたが、私が思うには「失くす」とした方が適切であると感じる。しかし、芸能界を引退し、一般人に戻った方の本懐は知る由もなく、推測で何かを語ることは憚られる。そこで本稿では、彼女のことは主題ではなく、アイドルというものの難点について綴りたいと思う。

 

そもそもアイドルは早熟である。早くは12歳からステージに立ち、時として、センターに抜擢される。それは人々の注目を集め、現代においてはインターネット上で評価され、場合によっては流言飛語が飛び交うことに等しい。その幼さゆえの行動や発言であったとしても、世間はそれを認めず、攻撃する。即ち、アイドルはその早熟であるという特性上、突如として、過度に大人となることを大人から強要される。事務所や保護者がそれらへのアクセスを禁じたり、法的措置を講じたりしたとしても、個人がスマートフォンを持つのが当たり前の時代では、アイドルをそれらから守り抜くことは不可能だ。

確かに、アイドルは自らアイドルとなることを志し、オーディションの段階で他人からの評価を求めるものである。そういった声にも耐えることも覚悟すべきという声も一部にはあるだろう。しかし、小学校6年生、中学生の少女のアイドルを志す無垢な心にその覚悟はあるのか。歌って踊るのが好き、テレビに出たい、そんな心がアイドルへの憧れとなる。頭の片隅には誹謗中傷への不安はあるはずだが、そのウエイトは小さいと思う。

 

そしてアイドルには「他人を笑顔にする」という重責がある。歌って踊るだけでオタクは笑顔になるかもしれないが、その責任は重くのしかかる。アイドルの規模が大きくなるほど、ファンも増える。特に、全盛期の48Gは東日本大震災の発生とも重なり、彼女らはチャリティーライブを行った。10代のメンバーも無論、中学生、高校生としてではなく、「アイドルとして」復興支援をすることを求められた。被災地で歌うことには葛藤があったに違いない。私のような普通の中高生活を過ごした人間からは想像もつかない世界である。

 

オタクは「推す」という言葉を頻繁に用い、この言葉は『推し、燃ゆ』に代表されるように一般的な言葉となってきた。一方で推されるアイドルもその子が真面目であればあるほど、ファンの期待に応えようと自らを追い込む。特にセンターやリーダーに指名されれば、それはグループの顔であり、グループを育て、維持するという使命を担う。多くは運営という大人に背負わされるものだ。ここでは、メンバー人気投票やグループ同士のバトルイベントなど、ファンが費やしたお金が重要となる。結局のところ、グループを大きくするためにはお金を使わせる(言い方は悪いが)必要がある。しかし、他人に対して、私のためにお金を使え、とは言えない。さらにその戦いで敗れれば、ファンは私たちの頑張り(=使った金額)が足りなかったと嘆く。これはアイドルに精神的な負担を負わせるものだ。あるアイドルが初センターに抜擢された時に、撮影中に過呼吸となったそうだ。もちろんアイドルにとってファンは活動の励みとなり、大いに越したことないだろうが、「推される」というのも非常に過酷なことなのだろう。

 

一部の中学生、高校生をアイドルとして忙しく過ごした者は学業が疎かになりがちである。また、学校での友達との交流も時間的制約が阻み、恋愛は言語道断である。いわゆる学校での「青春」は保障されない。しかし、これはアイドルとしての青春も存在するから、一概に私が悲観するのも間違っているのかもしれない。「青春」の誘惑に負ければ、前述の通り、匿名の攻撃に晒される。

 

こうしてアイドルは「心を失くす」こととなる。心を失くすことが出来ないものは、抑圧を続けそれに耐えうる強靭な心(慣れ)が生じてしまうか、どこかで精神的に参ってしまう。オタクは、心を失くしたアイドルを完璧なアイドルと賛美し、弱ったアイドルに魅力を見出し、さらに応援する。高校で古文を学んだ時、クラスメイトは光源氏の異常な溺愛を気持ち悪いと非難していたが、それと全く同じである。そして、卒業後、元アイドルは時間に余裕が生じたときに、脱慣れとでも言うべきか、かつて自分の置かれていた異常な状況に気がつくことなる。

 

私はアイドルが好きだが、これらについて考える時に自分の推すという行為が本当に正しいことなのか疑問を抱く。無論、失ったものがある一方で得るものも多いだろう。最後に、私は、アイドルというものやアイドルを取り巻く状況を非難する気はないことは述べておきたい。しかし、精神面でのサポートを改善してほしいと感じる。またこの文章は否定的な面だけを強調して書いたものである。

 

最後に、この文章の初めに渡辺麻友さんの記事を引用したが、彼女は悲劇のヒロインとして扱うつもりは全くない。芸能界を引退した今、彼女が幸せな道を歩んでいることを願うばかりである。