『海そしてシャッター通り』が好きだ。

 今日は『海そしてシャッター通り』がお披露目されてから2年だそうで、当時の私は何していたのか、とフォルダを遡ってもなんの写真もない。恐らく何の変哲もない日常の一日だったはず。こんなとき日記でもつけておけば、と思うものだ。そんなこんなで今回はWUG楽曲での私の一番のお気に入りである本曲についてつらつら綴りたい。

 歌詞を眺めて、私の頭に浮かんだイメージを述べたい。というのも、この曲の歌詞には具体的な情景が描かれているから。ただし、私は音楽の知識には暗いので悪しからず。

 

 故郷である東北地方太平洋側沿岸地域から旅立つ大学生、または同程度の年代の青年(女性を含む)。幼少期に家族と歩いた商店街を中途半端な光を浮かべる街路等に照らされて歩く。街灯に備え付けられたスピーカーからは名も知らぬゆったりした曲が流れている。シャッター街、その中でも地元に支持されながら営業を続ける商店。店を畳んだと思われる建物の中をシャッターに閉ざされていないガラスから窺うと、埃っぽい。青年は実家に向かうのか、はたはた敢えて外泊するのか、当てもなく歩いていると初雪の結晶がマフラーの端に咲いた。

 店先や理髪店など馴染みの店では「いつものやつ」で通じる。誕生日に地元のケーキ屋さんで店員さんに「おめでとう」と言われて受け取ったバースデーケーキ。このケーキ屋さんも顔馴染みだろう。

「私が持つ!!」

「落とさないように気をつけてね」

「あっっ…!!!怪我はない?大丈夫?」

「ケーキが……」

(案の定…やれやれ)

「いいのよ。」

 

 微笑ましい。

 東北地方太平洋側と限定したのはやはりWUGが生まれた意味から。震災復興の手助けを、と立ち上がったプロジェクト。作品内での描写のみならず、彼女ら自身こそ宮城各地でのイベントや東北6県でのソロイベなど、精力的に東北を盛り上げてきた。そして、青年としたのは曲後半「時間の階段のぼって」を受けたためだ。"大人の階段のぼって" でも似たような意味になると思うのだが、大人の階段はある程度まで登った者が感じられる物だと思うわけである(私は登り始めてもいないような若輩者であるので、何言ってんだって感じですが)。だから「時間の階段」。これからもある、続いていくんだ、そういった時間軸を示しているのがこの言葉だと思う。WUGの7人もまだまだこれから。「ふり返る」、そしてまた前を向く。

 では「リボンで ありがとう 結ぶかのように」とはなにか。結び目を英語で "tie" というが、これは"縁"や"絆"といった意味も含む。特に"絆"は震災以降、復興のスローガンとして何度も耳にしていた言葉である。こういった部分もあるのだろうか。無論、東北との縁、7人とワグナーとの縁など「縁」も沢山ある。私はここで贈り物を装飾するリボン(🎁⇦こんなもの)を想像したが、髪を結うリボンと解釈することも出来るかもしれない。

 「フードのその陰に 涙がひとひら

 なぜ泣いているのか。故郷に別れを告げる旅立ちだから、これが一番シンプルな答え。WUGに関わった全ての人にとっての「故郷」、7人にとっては自分たちのグループやワグナー、ワグナーにとっては彼女たち。まさしく"HOME"である。そして、1番の歌詞では「雪」だったものが「涙」に変わっている。ここで注目したいのはその直前の歌詞の「コートのマフラーに」と「フードのその陰に」である。青年は寒空の下で郷里を歩き、さまざまな思い出に浸る。その時間の経過の中で、寒さはより厳しくなり、青年はフードを被るに至る。そのコートの陰でそっと涙が零れる。

 

 そもそも冒頭で具体的な情景を描写したが、この曲はその情景に限定されず、聴く者にとって普遍的で、郷愁を想起させる魅力がある。以前、私が女川の街でこの曲を聴いたときの感想を再掲しておく。

 「ここまでの旅程でシャッター通りも目にしていた。あの情景描写的な歌詞は間違いなくこの地を指し、この地で聴くことで感じるものがあるはずだ、と確信を持っていた。
 しかしその確信とは裏腹に、結果はそうもいかなかった。いつもと変わらない。いやいつもより…
 なぜか。

 私はこの地へ初めて足を運んだ。点でしか知らないのだ。この街の変遷を、魅力を、深く知らないのだ。必然的に思い入れは通い慣れた街や故郷に比べると小さくなる。生まれ育った家の近くで聴いた時に心を打たれたのはこのためだろう。私はこの曲を郷愁や家族への思いなどそういったものがあれば、どこであろうと私たちの心に寄り添うような曲だと思う。しかし、私にもこの町でその魅力を感じられる日が来てほしい。」

 

 また、歌詞中の言葉の縁語的なはたらきも魅力である。

「シャッター」と「錆びる」、「面影」と「記憶の幻」などが挙げられる。これにより、一見結びつきのない単語が結びつき、曲全体の雰囲気を決定するものになっていると感じる。調和。

 

 最後に、簡潔にこのブログで言いたいことをまとめると『海そしてシャッター通り』は、描写が丁寧な歌詞でありながらその情景に囚われず、聴く人に故郷の懐かしさを思い起こさせ、全ての人の今までとこれからへの想いが詰められた楽曲である、ということだ。

 

素敵な楽曲をありがとうございます。私は「月日が積もる」という表現が大好きです。美しすぎる。