定禅寺通の欅、六本木の欅。

f:id:dentalmiso:20201208000822j:image
〈はじめに〉

 こんにちは。デンタル味噌と申します。

 本稿は「Wake Up, Girls!Advent calendar2020」の12月8日の記事になります。企画を目にし、興味はあったのですが、過去の作品は粒揃い。参加ボタンを押すまでに一週間を要してしまいました。しかし、いざ筆を執るとさまざまな感情が整理できて、有意義な時間となりました。また、開始から1週間ですが皆さんの記事を楽しませて頂いています。既に現段階で参加して良かったと思っております。改めて企画者の方、他の参加者の皆様に感謝申し上げます。

 以下は本稿の目次となります。

 

1.プロローグ

 2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震発生。

 忘れはしない。

 当時、都内に住んでいたが、揺れる電線、繋がらぬ携帯電話、帰れぬ不安。

 翌朝、電気が復旧した。メディアを通じて飛び込んできた惨状は想像を遥かに上回るものだった。忘れようとも忘れることはできまい。

 震災一月前、2011年2月、私の家族は松島旅行を計画していた。計画は諸事情により崩れ、訪れることはなかった。しかし、インターネット上で見た風景が破壊された光景を目にし、言葉を失った。

 そうしたこともあり東北、特に太平洋側への旅行は一時的に難しいものとなった。やがてその旅行のことなど忘れ、9年が経過していた。

 ちょうど9年を迎えようとしていた2020年3月、イヤホンから美しく儚げな音楽が流れてきた。『Polaris』との再会である。(WUGとの出会いについては以前書いたので割愛。詳しくは以下をご覧ください。)

https://dentalmiso2000.hatenablog.com/entry/2020/12/07/072557

 こうして仙台、ひいては宮城、東北への思いは日に日に漸増していったのだった。

2.出立

 旅行好きの友人に「宮城へ行こう。」となんの脈絡もなく言ってみた。

 「行こう。」と彼は言った。かくして宮城旅行の計画はスタートし、その一言から2週間、我々は夜のバスタ新宿の待合室に座っていた。

3.夜明け前の仙台 

 国見SAで外気を吸いリフレッシュされたのか、南仙台ICまでは記憶がない。

 朝5時前の仙台は静まり返り、信号機だけが光っていた。アンパンマン像も冷え冷えである。アンパンマンとツーショットを撮った。

 東口からペデストリアンデッキへ向かう。何度もMVやアニメ、写真で見た立派なデッキ。橙色の仙台駅の表示と足元のレンガ色が温かく迎えてくれた。

f:id:dentalmiso:20201105214535j:image

 再び駅へ戻ろうという時、ベンチで男女2人が談笑していた。松田マネの座っていた辺りだ。遠くから窺うには、男性が女性を誘い、飲み屋からそのまま流れてきたようなご様子。早朝の閑散とした仙台、離れた場所からも話の内容が耳に入る。少々下品な話であった。内心苦笑いを浮かべるとともに、そんな彼らも震災を経験したかもしれないと思うと複雑な気持ちになった。もっとも、そのような色眼鏡で見るのは良くないのかもしれないが。

4.一輪の花

 朝食に海鮮丼を食べる予定だったが、休日は営業時間が異なることに気が付き、急遽、石巻あゆみ野駅で途中下車。

 伊藤商店石巻店にて朝ラーメンを頂く。曇り空、底冷えした体に染み渡った。

f:id:dentalmiso:20201106194018j:image

 新しい街並に加え、「あゆみ野」という名前、震災後に作られた街らしい。駅前の案内板によれば、復興ニュータウンの一画だという。

 日和山公園へ向かう。想像以上の急坂だ。足腰には自信があったが、高速バスでの低質な睡眠でチャージされた体力はゼロに等しかったようだ。脚が重い。

 鹿島御児神社への参詣を終え、海側にある鳥居へと歩みを進める。写真を撮り始める前に、一先ず鳥居を出て一礼した。

f:id:dentalmiso:20201106194143j:image

 眼下には日和大橋。

 震災翌日のテレビで、橋の両端が水没し、橋上に孤立した人の映像を目にしたことを思い出す。その右手、すなわち水没したエリアは更地が広がっていた。災害危険区域に指定されたため、住居の建築が制限され、公園としての整備が進められているという。

 日和山公園から撮影された津波の映像を思い出しながら、太平洋と街を眺めた。

f:id:dentalmiso:20201106194400j:imagef:id:dentalmiso:20201106194327j:image

 無論、日和山公園を訪れたのは『TUNAGO』のMV回収のためでもある。複数カットを回収し、次なる目的地、南浜つなぐ館前へと向かった。

f:id:dentalmiso:20201106194448j:image

 (道中の門脇小学校。震災で津波・火災に見舞われ、現在は震災遺構としての整備が進む。)
 歩みを進め、つなぐ館へ到着した。瓦礫が散乱する中で作成された「がんばろう!石巻」看板。偶然にも根性のある花が咲いていた。「瓦礫」と書いてしまったが、思い出が含まれるものを、役に立たぬつまらぬものと切り捨ててしまうことには躊躇いがある。

 数年前からは復興も進み、撮影時とはかなり様子が違っているようで、MV回収は叶わなかったが、同じ空気を味わったことは良い思い出になった。

 f:id:dentalmiso:20201106194650j:image

4.復幸

 15mを越える津波により壊滅的被害を受けた女川町。私の好きな小説の言葉を拝借すれば

「圧倒的な破壊が拡大して連鎖していく。」

(有川浩空飛ぶ広報室幻冬舎文庫 2016年 511頁)

と表現されるだろう。東日本大震災後、作者によって書き下ろされた「あの日の松島」の章からの引用だ。この小説の題材となったブルーインパルスも震災とは切り離して語ることはできまい。ブルーの本拠地は松島基地であり、津波の被害を受けたからだ。

 ダンプカーが信号待ちの前を通り過ぎる。新しい街作りのものだろう。

 f:id:dentalmiso:20201106194857j:image

(震災遺構の女川交番。本来、陽を浴びることのない基礎の部分が露出し横を向いている。)
 この横に展示されているパネルに「復興」ではなく「復幸」という文字があった。住民一人一人が幸せを取り戻した時が復幸だという。この言葉は震災2ヶ月後の5月に生まれたとそうだ。海と紡いできた生活。そしてこれからも。住民は海と生きていくことを選び、笑顔溢れる街を目指す。
 そんな笑顔が溢れ、活気が満ち溢れているのがシーパルピア女川であった。訪問時は小雨が降っていて、気温も低かったためだろうか、屋外は閑散としていた。寂れているのではないか、と少々不安に思ってしまったことも事実である。しかし、屋内に入った途端、観光客の多さや店員さんの声に驚かされた。

 『Wake Up, Girls! 中の人でも宮城PRやらせて下さい!〜女川編〜』にて吉岡さんが舌鼓を打った「お魚いちば おかせい」の女川丼を頂いた。雲丹が苦手なので“特選″女川丼ではない。海鮮丼の美味しさは言うまでもない。ある人に言わせれば「海の宝石箱や〜」となるだろう。あら汁の海老もプリップリである。女川の海の幸に脱帽した。

f:id:dentalmiso:20201106195034j:image
 汽車までの時間に高台へ登った。住宅は高台に作られている。かつて人々の営みがあった所は、今も更地か、または商業施設として新たな一歩を踏み出しているようだ。

 高台を下り、港で海鳥を撮る。穏やかな海だ。

f:id:dentalmiso:20201106195159j:image

(女川温泉ゆぽっぽよりシーパルピア女川を望む。)

5.汽車

 定刻となり汽車が動き出した。私は徐に鞄からウォークマンを取り出し、『海そしてシャッター通り』を再生した。

f:id:dentalmiso:20201106232122j:image

 ここまでの旅程でシャッター通りも目にしていた。あの叙述的な歌詞は間違いなくこの地を指し、この地で聴くことで感じるものがあるはずだ、と確信を持っていた。
 しかしその確信とは裏腹に、結果はそうもいかなかった。いつもと変わらない。いやいつもより…
 なぜか。

 私はこの地へ初めて足を運んだ。点でしか知らないのだ。この街の変遷を、魅力を、深く知らないのだ。必然的に思い入れは通い慣れた街や故郷に比べると小さくなる。生まれ育った家の近くで聴いた時の方が心を打たれたのはこのためだろう。私はこの曲を郷愁や家族への思いなどそういったものがあれば、どこであろうと私たちの心に寄り添うような曲だと思う。しかし、私にもこの町でその魅力を感じられる日が来てほしい。
 そのまま再生は続き『さようならのパレード』が終わった。警笛が高い声を上げた。

6.いざ仙台

 仙台駅へと再び戻ってきた。朝は開いていなかった案内所でパネルの写真を撮る。

f:id:dentalmiso:20201106195414j:image

 サインを見て顔が綻ぶ。

 いつまで展示されているのだろうか。いつまでもここで私たちを迎えてほしい。
 瑞鳳殿へ向かう。日本史オタクの友人が頼まずとも解説を加えてくれる。一人ではその魅力もわからなかっただろう。助かった。
 拝観を終えると辺りは暗くなり始めていた。
 愛宕神社への登り坂、振り返った時に見えた夕焼けが印象的だった。オレンジにピンクを混ぜたような色。私は綺麗だと感じたが、友人は不気味だ不吉だと言った。
 愛宕神社に着く。『7Girls War』のMVやブログの写真のカット回収を行う予定だったが、辺りは既に暗く、軽く写真を撮る程度に留めた。
 しかし、1日の締めくくりとして美しい夜景を見ることができた。赤い提灯も綺麗だ。

f:id:dentalmiso:20201106195644j:imagef:id:dentalmiso:20201106195707j:image

(愛宕神社より仙台市内方面)

7.仙台での夜 

 ホテルへのチェックインを済ませ、牛タン店探しに繰り出した。宮城県は肉牛の生産が盛んという印象がない。なぜ牛タンが有名なのだろうか。諸説あるようなのでここでの言及は避けておこう。

 そんな仙台と牛タンの関係だが、街を歩き回った末に、仙台の牛タン文化発祥とされるお店「旨味太助」をチョイス。

 入店。奥へ案内された。地元の会社員が飲んでいるようで少し騒がしかったが、閉店時間が早いこともあり、宴も酣、少しするとぽつりぽつりと帰っていった。帰り際、私の肩を支えに通路を抜けていく恰幅の良いおじさま。不快感はない。寧ろアットホームな雰囲気に心が温まった。

 夕刻、仙台駅付近を歩いて感じたことだが、ここは時間の流れが穏やかだ。「土日だから」という可能性もあるが、東京に比べ、街行く人に焦りがない。エスカレーターを足速に歩く人がいないことがそれを強く感じさせた。(熊本もゆっくりらしいね)

8.懸け橋

 快晴。

 昨日は生憎の雨天で行程変更をし、サン・ファン・バウティスタパークを翌日に持ち越していた。

 渡波駅で下車し、サン・ファン館までの25分の道のりを歩く。上下天光、陽光が万石浦の水面に反射し煌めいている。他方では防潮堤の工事が進められているのも事実である。

f:id:dentalmiso:20201106232333j:image

 サンファン館に着き、まずは公園へ向かう。やはり『TUNAGO』といえばここだろう。

f:id:dentalmiso:20201106232833j:imagef:id:dentalmiso:20201106233628j:image

私たちが架け橋となってたくさんのつながりができますように。

 こうして私がここまでやってきたのもこの架け橋のおかげだ。景色、空気、地元の人とのちょっとした会話。この旅行に来なければ、WUGと出逢わなければ、出来なかった体験だ。ありがとう。そして、私をここまで連れてきた、ここへ行きたいと思わせるほどの魅力がWUGというコンテンツにはある。

 この施設の目玉、サン・ファン・バウティスタ号を見学した。停泊展示され太平洋を眺めるその船は、航海を望んでいるようにも、鎮座して海を見守る守護神のようにも見える。

 押し寄せる津波に耐えたこの船(1ヶ月後の南岸低気圧で破損)だが、2021年3月末に老朽化のため展示を終了する予定だという。

 余韻に浸りながら駅へ戻るとポケットに入れたはずの切符が失くなっていた。元が取れていなかっため、10000円の大損となった。やはり昨日の夕焼けは予言だったのだろうか。

8.帰路

 仙台市街へと戻ってきた。青葉城に向かう予定であったが、ここまでの過密スケジュールでの旅程で、私の脚は機能していないも同然の状態であった。昨日、40000歩も歩いたのだから無理もない。

 AER展望台でこの2日間をゆっくり振り返ることにした。ここはアニメの聖地でありながら、なぜかその存在感は薄いように感じる。

 夕景が美しい。旅の記憶を振り返る。今まで何度も聴いてきた曲への想いも変わることだろう。

f:id:dentalmiso:20201106235308j:image
f:id:dentalmiso:20201106235304j:image

9.エピローグ

 f:id:dentalmiso:20201207075443j:image

 今回、宮城を訪れて、震災からの復興は長い道のりだと感じた。私は10年間の軌跡を詳しく知らないので、復興に対して「まだまだ」だとか「だいぶ進んだ」などとは言えない。よってこの表現に留めようと思う。更地やかつての写真を見ると前者の感想を抱く。しかし、着実に新しい生活が始まっている街を見て、後者の感想を抱く。

 私は競泳をやっており、その中で東日本大震災の復興大会にエントリーしてきて、被災地への関心は持っていたつもりだ。またこの旅行の直前に当時の新聞記事に目を通してきた。しかし、現地を訪れて、文章や写真で感じるものとは異なる感想を抱いた。貧しい語彙しか持ち合わせていないのがもどかしいが、すべてが鮮明なのだ。やはりその空気感などは訪れてみなければわからない。

 これからもこの地との出会いを大切にしていきたいと思った。今回訪れることができなかった石巻以北、さらには岩手などにもいつか訪れたい。そして、多くの人にこの美しい街を訪れてほしい。本稿は一部、陰りのある内容になってしまったが、そういった理由もあってこの文章を書いた。私は先にも綴った通り、WUGにより宮城へ行き、この文章を書くに至っている。かくして“つながり”の中へ引き込まれた。私の文章が更なるつながりを生む、触媒の一つになってくれたら幸いである。

 最後に、

 私を東北に連れ出してくれてありがとう。

 Wake Up, Girls!最高!!

 

〈おわりに〉

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 松島やアニメWUGの聖地にも一部行ったのですが、過密スケジュールであり、滞在時間が短かったため省きました。またの機会にゆっくりと楽しめる日が来ることを。

 感想など頂けると嬉しいです。ワグナーさん、水泳をやっている方、そうでない方も、みなさん。

 それでは、素敵なクリスマスをお過ごしください。